災害時にわが子を守るためにレーシックを受けました(ある母の手記)

東日本大震災で被災された皆様へ、心よりお見舞いお悔み申し上げます。今日はある主婦の手記をご紹介します。





視力0.03のド近眼の私はいつも不安でいっぱいでした。

“もしも大災害が起きて、眼鏡もコンタクトレンズも持たずに逃げることになったら?”
“もしも、眼鏡が壊れたり津波で流されたりして、コンタクトレンズのケア用品や水が手に入らなくなって、コンタクトレンズを使うことができなくなったら?”
“もしもコンタクトレンズを作っている工場が被災してコンタクトレンズが手に入らなくなったら?”

“私1人ならなんとかなる。なんとかならなくたって別にどうってことない。でも、この子は?眼鏡もコンタクトレンズもないのにどうやってこの子を守る?私がこの子を守れなかったら誰がこの子を守る?”

そんなある日、レーシックという手術で近視が治ることを知りました。しかも意外にも26万円という手に届くお値段です。26万円で視力が手に入るのならこんな安いものです。私はすぐに飛びつきました。

レーシックとはこんな手術です。

手術を受けるまではとても不安でした。でも、
“もしも失明したらこの子の姿を見られなくなる。絶対に失明できない!”
そう思い、執刀医の先生をともかく信じようと決めました。

手術は成功し、今は眼鏡もコンタクトもなく暮らしています。こどもはだいぶ大きくなりましたが、いざというときには全力でこの子を守ろうという気持ちは変わっていません。
臆病者で、ジェットコースターに乗れない、血が吹き出るような映画は見られない私。こどもがいなかったらたぶんレーシックは受けていなかったでしょう。自分自身のためには強くなれなくても守るべき人がいれば、人は強く慣れるのですね。

こどもを守り育てているつもりで、本当は子どもに守られ育てられているのを感じます。、どっかで聞いたような言葉ですね。ということは本当にそうなのでしょう。